高校英語では英語の授業で!
思いつきばっちり!の文部科学省。この省には学校の現場の先生はおられないのだろうか?なんだか机の上での、閑な時間の、調子のいいお話し合いから思いつきのアイデアが出てくる!まず第1にそんな風に先生達、自由に英語はしゃべれない!もっとそれより、何よりも授業は生徒たちとの人間的な関係が先行してくる。「お早う!何で遅刻したん?」「、、、、」英語でそんな気持ちの通い合いが出来るのだろうか?もし、その先生が外国人で英語でしか通じ合えない、、としたら、はじめて必死の通じ合いが生れるて来るだろう。そんな場面で言葉が生み出されてくる、必要になってくる。日本人同志でのなれ慣れの関係の中でどうして必要な言葉、通い合う言葉が英語でなければならないのか?
答えは二つ!高校で英語が選択になれば、生徒達はそんな授業を選ぶだろう!二つ目に、小学校の4年生ぐらいから、小中1貫のカリキュラムで英語の授業をスタートさせる、もちろん英語の教師で、、。「中学校の先取りではない!」とする小学英語にどんな未来があるのか?これほどの無駄はない、勉強の仕方にも、懸けられる予算にしても、、。6年生の授業内容、、、アルファベット大文字小文字のきちんとした学習を抜きにして突然にWhat country do you want to go? I want to go to China. Because .......! などの会話練習、ほぼ口パクでしかない授業の組み立てなのに、「コミュニケイション能力を育てる!」と元気ぶる文部科学省の非科学性を誰一人問わない不思議が横行している!
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