2009年10月31日 (土)

沈まぬ太陽

映画の冒頭、羽田空港で123便の搭乗を待つ乗客たち、そして送る人々、かわいい子供に空の旅を気遣う親、又、家族を囲んで旅の期待に笑顔がはじけ、写真をとり別れを惜しむ人々、、、そして大きく揺れ動く機内、、泣き叫ぶ人々、必死のフライトアテンド達、、見ていて涙が止まらない、、。遺族の悲しみに初めて触れる、、。新聞、テレビのメデアのニュースでは伝えようがないのかもしれない。なるほど政治世界の貧困がある、そして、、でも、、沈まない太陽! 

時には、映画でも見て、ホッと自分を考えてみよう!!

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2009年10月24日 (土)

まず「同棲」してから!

結婚年齢がぐんと繰り上がって、もちろん未婚者の数も多くって、、のニュースは耳にしていたけれど、結婚の前にまず「同棲してみる!」にはビックリ、、。生活してみて気が合えば結婚、その前の「同棲」は今の若者には常識、、10人が10人、そんなことを言っているのに知らなかったのは自分だけ?昔から、いや今でも言われてるのか?、「結婚は墓場」の冗談?いや常套句! さらに常識的結論、結婚そして家庭は作り上げていくもの、全く人格の二人、それこそ気が合いそうもない、、でもそこを合わせていくのが人生、、など、知恵ある格言と、覚悟のセンテンスは、もう昔の話、古いだけのものか?「彼の、あの一言が許せなかった!」と同棲解消を語るその女性に、「う~ん」と唸るだけの自分、一方男性には、なかなか結婚に踏み切れない事情があるらしい、、逆に、結婚の結論を彼から待っている女性もいっぱい、彼のほう、どうも、今の仕事と生活に自信を持てらしい、、、教室はなんだか不安そう子供が多いように見えるし、親は勉強と塾に目を光らせているようだし、若者は妙に慎重、明らかに時代は新しい風が吹き始めている、、ついていけないのが大人、そして学校では教師なのかもしれない。

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2009年10月 7日 (水)

小学校英語教科書の馬鹿馬鹿しさについて

「Can you~?の表現を使って自己肯定感や仲間内で存在を認めあうことを目標に、、」と英語での会話を目指しての授業??ジェスチャーでいいんだって、、!!これが小学校英語である。その前は、好きなスポーツ、I like baseball. そしてI lilke swimming. どうしてI like swim.にならないの? 今度は I can swim. どうしてI can swimming. にならないの? I can baseball. には??全く「英語」を無視しての勉強!コミュニケーションを 育てるだっ!!   I   can make an omlet.  I can ride a unicycle. とか、突然に出てくるが、、 聞き取れたらいいとか!! 一瞬の聞き取りでの授業の積み重ね、、これで真の意味での「積み重ね」ての英語に勉強になるのか?教科書ではテープを聞いて答えに当たる番号や○を教科書に書き込んで、、なるほど担任の先生で十分なのかもしれない、、「外国語を通じて、体験的に、積極的にコミュニケーションを図る。、、」と指導書は謳ってる、、よくも平気で、、英語勉強をバカにしているとしか思えない、、。こんな調子での教育委員会からの指導講習会、小学校の先生たち、拝聴するばかり、、自分もここでぼやくだけ!誰とも 細かい会話は成り立たない!

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2009年9月12日 (土)

「いじめ」について

2学期に入ると、学校はバタバタし始める。6年生の教室、朝の会にどのクラスにも担任の先生が現れない。なんと1時間目が始まっても、、職員会議が遅れてるのかな?と思ってると、6年の先生の打ち合わせだという、なんと9時過ぎて教室に来られた先生、みんなに向かって突然「いやなこと言われて、辛い友達がいるんだよ、、」と語りかける。クラス名や、もちろん本人の名前は出せない、、なんとなく、でもその真剣な雰囲気に、クラスはし~んとなるが、、解決にはなっていかないだろう。そういえばクラスにいると、ずいぶん平気で子供同士が、ある特定の子に向かって平気で、ボロクソなことを言い、何気なく、平気にどつきかける、、、みんな笑ってるけれど、横で見ていて、気になる風景、、。そしてそれは又当たり前の風景、辛い相手の気持ちが理解できない、自分に届かない、、、実は、そんな風に小さいころから育てられての環境、親も又そんなバラバラにいる世界、がんばって子供を育てているけれど、孤独でイライラして、、子供への密着度の緊密な分だけ、ゆとりなく、しかりつける、、親の、そして家族のイライラの姿が、子供社会の中に出てくるのではないのだろうか?原因を、そして解決を学校にだけ求めようとする、、それは、問題の転化にしかならないのに。 根は深いはずなのに、、ここでも先生だけが大変になってくる、、。

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2009年8月29日 (土)

「学力テスト」への馬鹿げた対策!

授業が始まっても、子供たちはまだそろわない、始まってもなかなか落ち着かない教室、、先生も半分さじを投げている!!そんな現状がまだまだあちこちにあるのに、、放課後の補習授業、、誰が受けてるのだろう、必死な子供たち?? 秋田、福井では「朝ご飯をちゃんと食べてきている子供たち!」と分析があるではないか!現状への何の把握もない、上から物言うだけのがつがつとした偉い先生を何人も迎えていて、、、なのに、現場から反発だけがくすぶる、それが現教育への対策!なるほど「授業」への認識の甘さは学校にあると思う、でも上部からの通達だけがずっと府教委の仕事ではないか、そして橋本知事の教師への軽蔑ぶり、、みんな黙っているだけ、、学校をどうしていこう?と、心合わせて、工夫する現場の姿はない、、のではないのか??それも、はたしてどう政治家は把握しているのだろう?以前は「授業こそがいのち、授業の中で子供とつながる、、」と、、なるほどそれだけが正解ではないのかもしれない、、でもみんな真剣だった、今はそんな雰囲気がなくってなんだか上からの研修ばかり、退屈を紛らせるのにどの先生も苦労している研修、、腹の立つことばかり、、、もう2学期スタート、クラブは楽しみで、、小学校は1日から!! ひっそり時自分流の授業をして、、やっぱり楽しんで、、これからもいけたらいいと、、さて、自分にとってどんな2学期になるのだろう!!  

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2009年8月16日 (日)

「趣味」としての「授業」

夏休みに入って、授業がなくなって、途中からクラブもなくって、すなわち日々の課題が無くなって、われながら日々だらだらと無為に過ごしていて、改めて自分にとって「授業」「クラブ」は、「仕事」ではないとしたら、退職者にとっての「楽しい趣味」の世界なのではないのか!の再認識、再確認!現役の時の「授業」はまさしく「教室は戦場」の覚悟で、、、クラブは義務、任務の遂行、夏休みほど開放感を味わったことがなかったに、、「退屈」とか「無為」とか、、、とは、、ひょっとして退職教員にとって、昔取った杵柄、「授業」が、趣味風に生かされていけるのではないのか、、ボランテァで、子供たちと楽しいひと時が持てて、しかも緊張感があって、1時間1時間に達成感もあって、、もっと社会的にそして政治的に、退職教師を学校内に誘い込むことができないだろうか? 今、ただただ忙しいだけの先生、あわただしい職場、それに最近になって、先生のための「研修」といった馬鹿馬鹿しい制度が導入され、授業、クラブ、子供をほっておいて、先生を教室に閉じ込めの勉強、、いったい、どこの誰が教えてるのか? 団塊の世代、どんどん退職していく教職員は、本当に無為な存在なのだろうか、なるほど、ほとんどの先生方、”2度と学校には足をふみ込みたくない”など言ってるけど、そんな謙虚な気分こそが今こそ「趣味の授業」で生かされるのではないのだろうか、日々「モンスターペアレント」の電話にビビってる若い先生らに応援を送れる、老人先生の役目はあちこちにありそうなのに、、。「サー今日から、クラブ活動が始まるぞ!」と、一人楽しみしてる自分が本当は変なのかな??

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2009年8月11日 (火)

”ブログ”とは!

「書くことは欲求不満のはけ口、あるいは安全弁のようなものであり、また自分の中に詰まっている混沌を取り除く手段です。その混沌とはいわれのない巨大な悲しみであり、常に最悪な事態が待ち受けているという確信から来る悲観主義であり、人間は凡庸な存在であるというほろ苦いシニシズムです。」したがって書くという行為は自分の中にすむ鬱憤を晴らす手段、あるいはマスターベーションのようなものでしかない、、、。しかし今こうした不特定の、不安定な、ひょっとして幽霊のような、なんの表情も持たない顔、姿に向かって、自分はどこに向かっているのか?どうやって前に進もうとしているのか?でもそんなその幽霊こそが唯一の友達ではないのか??

久々に出会った素晴らしい一冊の本との対話、いや自分に向けての対話こそがこのブログなのだが、、、、でも??

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2009年8月 8日 (土)

「幻想」の「使える英語」

「朝日」8月1日号”学校で使える英語なんて幻想だ」での取材の記者の感想。「考えて見れば中学校、高校で教わり、その後使い物になった課目なんてあったろうか。」 全くその通り!!小中高の勉強なんて基本的な、基礎的な知識を身につけること、あとはそれぞれの道でさらに進んでいく、、など常識のこと、どうして「英語で語り合えるために!」などというカリキュラムを押しつけて、奇妙な教科書を組み立て、授業をオウム返しの詰め込みパターンに決めつけていくのだろう、3歳の孫との会話すら英語では入り込めそうにない、いったい「会話力」とは何か?’基礎的知識’とか’素養’のことばでごまかしているのが文科省の英語教育への認識、そして対応、雲の上でただ威張っていて、職員研修と称して、伝達講習に励んでいる、が、自分たちの意見は聞かない、、いや、叱りつけるのがおち、、!そういえば何から何まで、この頃の現場は伝達風、新鮮さ、もちろん独自な空気はない、それに親からの次々の抗議の嵐に沈黙、、となれば、沈黙そが平和、、、と聞いているが、、「昔はよかった」の禁句はよさなければ、と思いながらの愚痴、でも教室の中は自由、、当分は、自分勝手なひと時を楽しんで、、、!

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2009年7月31日 (金)

「英会話」あるいは"English communication"の無意味

今朝の食卓で、、「まだご飯済んでないよ!」「うん、まだ!電話の邪魔が入ったから!」突然の電話に3歳の孫も電話にかかりっきりの後の会話である。さてこの孫の一言は英語では??中学生でぱっと言えるかな?2~3歳へ向かう孫の会話力はすごい、ずっと何かしゃべっていて、必要、必然の場面が言葉を呼ぶ、いったい英語の授業の中でコミュニケーションの何が要求されるというのだろう、絶え間ない言葉の連続が人の中での展開される。あるいはそんな外国語が必死な仕事になってくる、、などの条件があって初めて" Not yet! A sudden call just has disturbed me!" と3歳の子供の言葉が出てくる。(これは私の下手な英作文!)。小学校英語での「コミュニケーション能力の基礎的な素養を育てる」とは何を目的にしているのだろう?コミュニケーションとは何か?ましてEnglish communicationとは何だろう、、の共通の認識抜きに非現実的な教育目標が独り歩きしていて、日本人の英語会話力を高める、、などの独り言!、会話に埋もれてこそ会話力、、英語授業とは何だろう?と当たり前のことを誰も考えてはいないように思えて仕方がない、、。

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2009年7月29日 (水)

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